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LAの二宮金次郎
2025年09月30日
LA、ダウンタウンの一角にある「リトル東京」は、141年の歴史を持つ。述べるまでもないが、移民として米国に渡ったジャパニーズの哀しみ、憂い、苦難で彩られている。
1942年2月19日、当時の大統領、フランクリン・D・ルーズベルトは、大統領令9066号に署名し、日系アメリカ人を強制収容所に送った。真珠湾攻撃を受け、敵国の血が流れる人間を排除すると決めたのだ。
リトル東京は、連邦政府と地方自治体による人種差別的な政策に苛まれながらも、コミュニティーを守ってきた。その歩みは、2024年にナショナル・トラスト歴史保存協会が「アメリカで最も危機に瀕した11の史跡」の一つに指定したほどである。
1983年、アルベルト・タイラという人物が、セカンドストリートとサンペドロ通りの角に建っていたマニュファクチャラーズ銀行の前に、二宮金次郎の像を設置しようと提案する。LAの地域再開発局が設立したばかりの芸術作品寄贈プログラムに従い、声を上げたのだ。

二宮金次郎(尊徳)は、百姓賢人と呼ばれ、徳川時代の1830年から1843年にかけて、「恩を返す」「徳を返す」を基本とした「報徳」概念を社会に伝えた。また、協力、相互扶助、親孝行に加え、凶作に備えた貯蔵、灌漑などの策を広めた。薪を運びながら読書をする少年時代の姿は、勤勉さのシンボルとなり、日本国内のあちこちに金次郎の銅像が置かれた。
LAのそれは、高さ6フィート(約180cm)のブロンズ像だ。完成したばかりの頃は、足元のタイルに銅像名とその意味が書かれていた。しかし、いつしかプレートは剥がされ、現在は4つの穴しか残っていない。マニュファクチャラーズ銀行もまた、2021年12月に閉鎖されている。
今日、リトル東京付近にはホームレスが多く住む。ゴミが散乱する中で、彼らは強烈な異臭を放ちながら生命を保っている。金次郎の銅像は負のアメリカと寄り添っているかのようだ。異国の地で、歯を食いしばりながら生きた日本人たちの思いも、無言で受け止めているのだろう。
林 壮一 ジェイビーシー(株)広報部 / ノンフィクション作家
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